デジタル@備忘録



「カメラマンになった私」 約10年目を迎えての回想記

2009年に記した回想記になります。
まだ若い時期に書いた更に若い時代の思い出。書いておかないと忘れてしまうものです。自分の為のメモ程度の文ですが、他人の人生が気になる方はご笑覧ください。

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たまには自分の事も書いて見ようかとお酒を飲みながら考えていました。
どの程度の内容になるかは分かりませんが、少しずつまとめてみようかと。自分自身を振り返って反省や得るものがあるかもしれませんからね。

ただ、仕事の関係上、守秘分野も多く全ては語ることは出来ませんが、表面的にでも少し・・・。

全世界に向けて自分の赤っ恥をさらす必要もないとは思うのですが酒が入っている分、気持ちが大きくなっているのも事実(笑)
明日になったら消えてるかも・・・(~_~;)
その時は、ああ~酒によって自分を見失って狂ったエントリー書いてたんだなぁ~とでも思って暖かく激励でもしてください。


私がカメラマンになろうと思ったのは大学時代。
そもそも、中学・高校時代は陸上部に所属していてバリバリの体育会系!
これでも川崎市の大会では優勝したことも。(走り幅跳び)

今の出っ張った腹じゃ誰も信用しないだろうなぁ~・・・

まあ、とにかく先輩後輩の上下関係ありありの体育会系ですから、高校時代まではカメラなんてフジフィルムの「写るんです」ぐらいしか使ったことはありませんでした。


そんな体育会系ですから、高校を卒業したら警察官or自衛隊員になろうと考えてたんです。
(とにかく体を動かせる職業が良かったんです)
現に、その当時の友人で潜水艦に乗船しているものもいます。

警視庁、神奈川県警には願書を提出し、自衛隊のほうも家庭訪問もしてもらっていました。

しかし、公務員試験の数日前に、激しい腹痛が!!!(病院も開いていない早朝)

あまりの腹痛にトイレで吐きまくり胃液しか出ない状態(~_~;)
バカな私は痛みにはバファリンだ!!!っと思ってバファリンを飲もうとしたら親に止められました。
今考えれば、そりゃそうだなぁ。

9時ごろになってから地元の内科医に見てもらったら、すぐ総合病院へ行けと指示され、親の友人の車で近くの総合病院へ。

病院へ着いても、あまりの腹痛で待合室のソファーに座れず、床に座ってうな垂れていた所、看護婦さんが声をかけてくださりベットで待つことに。

医者が来ると、私の肛門に手をいれグリグリ(笑)
(今でもしっかり覚えているあの感触・・・)


医者は私に何も言わなかったのですが、その後は車椅子に座らされて、病室へ連れて行かれていました(~_~;)

つまり即入院。

病名は「虫垂炎」 

まあ、ようするに盲腸ですわ。

大きな病気でなくて良かったですが、入院した結果、私は公務員試験を受けられない環境になってしまいました・・・。


この時期に虫垂炎になっていなければ、今ごろ自衛隊員になってソマリア沖に出発してるか、はたまた警察官になって交番勤務になっていたことでしょう(~_~;)


まあ、とにかく1年に2回行われる公務員試験がパーになり途方に暮れている時に、当時の担任の教師が見舞いに来てくれました。

「とりあえず大学受けて見たら」

その一言で、まったく大学の受験勉強などしていなかった私は数ヵ月後の大学受験にベクトルを変更したのでした。


大学受験って言っても、公務員試験の内容とはじぇ~んじぇ~ん違うんです(~_~;)

そもそも、受験日までは、たった3ヶ月ほど。今更、大学受験のための勉強をしても受からない!!!

そんな自信は100%あったので、一般入試は最初から諦めて、学校推薦っていうんですかね。それに絞りました。

(その時代は単願推薦って呼んでいた気がしますが、学校から各大学へ1~2名ほど推薦をして受験すると言うもの。現在だとAO入試に近いのだと思います。)


何故か?


それは推薦入試の場合は、試験が小論文だけの学校があったんです。公務員試験でも「作文」という試験がありますから、それなりに小論文の勉強をしていましたから、「これだ!」と(笑)

ただ、やはり本格的に小論文を勉強するとなると、独学だと難しいので、予備校へ小論文の授業だけを受講しに通いました。

その時の講師が、『頭がいい人、悪い人の話し方』(PHP新書)で一躍有名になられた「樋口 裕一」氏でした。
あの本、250万部も売れたっていうからスゴイよなぁ(~_~;)
印税いくらだったんだろう。



当時、樋口氏は予備校の講師として小論文の書き方の書籍を多数出している小論文講師の専門家だったんです。
いわゆる「樋口式小論文」っていうのを発明したとかしないとか。

小論文の教え方は「型を覚えろ」ということで、どんな設問が来ても対処できる型を教わった思い出があります。
小論文は問題提起、意見提示、展開、結論の四部構成で書けと言われて、常にその構成で書ける練習をしていました。


そんな訳で、毎回授業で小論文を書くのですが、採点方式が独特なんですわ。あの先生。
満点は20点!
でも、満点を取れる人は誰もいない(笑)

樋口氏いわく、20点取れるやつは文豪になれる!と。
10点取れるやつは東大レベルだ!と。


なんやそれ・・・。


私は大抵3~6点レベルでしたかね~(~_~;)
まあ、0点なんてのもありましたよ。


平気で0点をつける人でしたので、変わった人だなとは思っていましたが、今やベストセラーを出した予備校教師の成功者として有名になってしまいました。

現在は、多摩大学経営情報学部の教授だとか。


あの方が、頭がいい人の話し方をしていたかは・・・ヒミツ

まあ、こんなわけで、樋口氏の小論文の授業を週2回受講し、学校でも現代文の先生に小論文の課題を出してもらって全部で200本ぐらい小論文を書いたと思います。

そんなこんなで、小論文だけの試験で結果としては大学に入学できたんですね。

合格発表の後、大学の最寄駅の公衆電話から高校の担任に合格の旨を伝えたら、

「え~、ほんとう? 正直言うとあなたは受からないと思っていたのよ~」と(~_~;)

人間って、本当は何を考えているか分からないものだと、その時に悟ったものでした。


大学に入ってからは、遊びまくり!ってのを期待してガラにも無くサーフィン同好会に勇んで入ったんですが、どうもモテない・・・。
サーフィンやってりゃモテるという単細胞的なバカな考えを持っていた私の考えは半年ほどで打ち砕かれ、いつの間にか辞めていました。



まあ、もともと高校時代はヨーロピアンバイクを改造して乗りまくり、仲間はみんなリーゼント(笑)
リーゼント頭でダブルの革ジャンを着て数十台で走る姿は、はたから見たら迷惑だったかもなぁ。

私も部活がある日以外はリーゼントできめてましたからね(~_~;) もともとサーフィンは合わなかったんでしょうね・・・。
水と油みたいなもんだから。

いや、犬とサルかな?

で、大学に入ってから1年ほどしてから、体の体調に異変がおきたんです。やけに気持ち悪い日が続いて食欲が無くなり、一気に体重は10キロ以上減少・・・。病院に行ったら、盲腸の手術の後、腸が癒着していてそれが原因かもと。


癒着がひど過ぎて、手術でも剥離できないとのこと。剥離しようとすれば、腸が破れて大変なことになるそうな・・・。


あ~、人生ってこんなもんか!って絶望感に。
癒着って、手術ミスだろ!!!って言っても始まらないし、ただただ出された漢方薬を飲む日々が続くだけ。


運動する気力も無く、やる気も出ない日が延々とつづき、体は衰弱していく一方。他人に迷惑をかけてきた罰でも出たかな?と思ったもんです。

で、そんな悶々としている時に、自宅にあったカメラを目にしたんですね~。ミノルタのSR-7ってやつ。

もちろんマニュアルカメラで、レンズも標準のが一本付いていました。

50ミリだったか58ミリだったか良く覚えてないんですが、オヤジが昔に買ったカメラな訳です。


使い方も良く分からなかったんですが、適当にパチパチと・・・。実家には庭があったので庭に咲いているバラとかも撮ったんですわ。

で、カメラ屋に現像出しに行って、できあがったバラの写真を見て、スッゲー感動。

もうプロカメラマンになるしかね~だろみたいな勘違いをしちゃって・・・。

それが私のレールのポイントが変わった瞬間だったのかもしれません。
そこから、勘違いのパワーでどんどん進み始めちゃったんです。


非常に体調の悪かった当時は、運動する気なんて全く無く、出来れば家に引きこもりたい状態。要するにうつ状態になっていたので、ミノルタSR-7との出会いは劇的だったわけです。


偶然にもバラの写真が綺麗に撮れちゃった為に、勘違いフォトグラファーとして、うつ状態を脱し、それからはロミオとジュリエットのように、お互いを求め合い愛し合い、時間さえあれば抱きつく日々。


ああ~、なんて愛しいんだろう~。なんて事は無かったのですが、とにかく初体験をして、味を覚えてしまったサルのごとくカメラを片手に様々撮り始めたんです。



学生でしたからね。お金もあんまり無いですから、私の教科書は古本屋で100円で売っている『月刊カメラマン』や『キャパ』などのカメラ初心者用雑誌。


この雑誌を数年間分購入して、必要な記事だけスクラップしてまとめたりして独学の毎日。


お金が無かった為、カラーフィルムから自家現像出来るモノクロフィルムに移行していきました。
この辺りが写真家をめざす学生さんとは違ったのでしょうね。
写真家を目指す方々は、表現のためにモノクロフィルムをお使いになったりしますが、私の場合は、金が無かったんですね~、単純に。


フィルムも100フィートの長巻きフィルムを買ってきて、リサイクル出来るパトローネに自分で装填。
巻き過ぎて、40枚を越えてしまうなんて事はザラ。

とにかく、いい加減でした。


だって、フィルムの現像の方法だって本でしか学んだこと無いもんだから、ヨドバシの地下の暗室用品売り場(当時)に行って、現像タンクやら現像液やらを本に書いてあった通り買ってきたわけです。


そもそも、リールにフィルムを巻く方法も知らなかったもんですから、店員に、「フィルムよりもリールの幅のほうが狭くて入らない!」って言ってクレームしたことも。


バカなやつだなぁ~。と店員は思ったでしょうね~。


そんな無知な質問をするもんだから店員も、しょうがなくリールの巻き方を教えてくれるわけです。


私にとっては本とヨドバシの店員が講師だったような。


でも、あの当時ヨドバシさんの暗室用品売り場の店員さんはガラの悪い方が多かったなあ~。
(今は非常に社員教育がなされているようですが)


店員さんに現像方法を教えてもらいながら、本を片手にフィルムをリールに巻いて、現像するんですが、まあフィルムがリールの溝に上手く入らなかったりしてまともに最初は現像できなかったですね。

それでも、一生懸命リールに巻きながらタンクに詰めて、現像液、停止液、定着液を入れて、フィルムを最初に出した時の感激といったら!


もう!凄いもんです。


女性の前では表現できないような気持ちよさがあるんですね~。

リールからフィルムをスルスルっと出していく瞬間!!!!
あの太陽に向けてフィルムを透かして見た瞬間!!!!

あれが、私の原点かもしれません。

写真ってアヘンか?


そんな気持ちになるぐらい最初のフィルム現像は恍惚感にあふれる経験でした。


それからは、長巻のフィルムを買って来ては自分で現像して楽しんでいたわけですが、写真を好きになってしまった人なら誰でも憧れるプリントへとベクトルが動き始めした。

でも、その為には引き伸ばし機と暗室が必要!

ただでさえ、金が無くて自分で現像出来るモノクロフィルムを使い、そしてフィルム代が安くなる長巻のフィルムをリサイクルパトローネに入れている私に新品の引き伸ばし機を買う余裕などあるはずも無い・・・。


今みたいにインターネットが普及していてヤフオクなんかがある時代と違いますからね~。


引き伸ばし機なんていうマニアックな中古品を探すのって大変だったんです。
地元のカメラ屋さんに行っても、引き伸ばし機の中古なんて置いてないですよ。


まあ、ハイアマチュアの方々やプロの方々でしたら、その当時でも中古の引き伸ばし機をさがしてくることは出来たかも知れませんが、写真をやり始めたばかりの学生にそんな業界情報ありません。



でも、何かタイミングってものが世の中にはあるんでしょうね。

地元のミニコミ誌にリサイクルコーナーがあって、そこに


「売ります」
・引き伸ばし機

ってのが出てたんですね~。
ありえないほどの偶然です。


自分で引き伸ばし機使ってる物好きなんぞ、同じ地域内には普通いないでしょ。それがたまたま偶然にも数キロ先のお宅にあったんです。

それも、いつもミニコミ誌は見ていなかったです。たまたま偶然にもテーブルの上に置いてあったミニコミ誌に眼を通したらあったんです。

超特急で電話して、その日に取りに伺うと電話したのですが、電話の受け答えは「女性」

ん~~~?

女性が引き伸ばし機?って思ったんですが、指示されたお宅へお邪魔すると、スラ~~~っとした、すっごい綺麗な女性がお出迎え!
なんだ、ここは夢が幻か?はたまた竜宮城か?って。


話を聞いたら、彼女はモデルさんで、カメラマンと仲良くなって、写真にも興味があったので、プロカメラマンの助言もあって、自分で引き伸ばし機を買って使っていたのだとか。

お~~~。
それなら納得。

こんな綺麗な人がナゼ?と思っていたんですが、モデルさんだったとは。
いや~、確かにオーラがありましたよ。


この後の彼女との展開を気にしているアナタ!
そんなに世の中、甘くは無いのよ~。

彼女には、ちゃんと旦那さんがいて、常に寄り添うように彼女をサポート。学生だった私には不用意に近づくことすら許されないのでした。


まあ、当時は真面目で詭弁・・・いや勤勉な学生でしたからね。彼女とどうこうしようなんて不埒な考えはあるはずも無い!
と、こんなことを書いていると横道にそれるので、軌道修正、軌道修正。

で、一応は中古品ってことで、引き伸ばし機使えるかチェックしないといけないんですが、そもそも引き伸ばし機なんて、ちゃんと触るのはその日が初めて。


どうやって使うのか・・・。


わかんね~~~。

使ったこと無いもん・・・。


何となく知っているだけで、どこをチェックして良いかなんて、使って見たことも無いのに分かるはずも無い。

ただ、彼女の手前、ハッタリをかまさないと!な~んて、変なプライドがあるもんだから、動きそうな所はとりあえず動かしておいて、チェックしているフリ。


真剣な顔で、引き伸ばし機をチェックしている姿は、彼女には将来有望な写真家にでも写っただろうか?
そんなことを気にしながら、チェックしていると、彼女が一言。


「ランプは常に予備を用意しておいた方が良いですよ。」って。

すかさず、
「へ~、そうなんですか~。」って素人丸出しの私がつい出てしまったのでした。


まあ、そんなこんなで、壊れているのか使えるのか良く分からない引き伸ばし機を安価で購入して自宅に持って帰りました。


念願の引き伸ばし機を手に入れた私は、自分の部屋にある床の間の一畳部分を暗室に改造♪

真っ黒のビニール製の遮光カーテンを買ってきて、床の間を暗室にしたんです。

で最初は、それで暗室作業をするんですが、数十分すると周りがなぜかよく見え始めるんですね~(笑)

暗順応ってやつです。

本当は暗室じゃなかったんです。ただ単に目が慣れてなかっただけ。


カーテン閉めるだけでは、完全な暗室にはならなかったわけです。
今考えれば、若かったなぁと。


で、それからはカーテンだけですと光が入ってきてしまうので、雨戸もしっかりと閉めてから準備するんですが、これが真夏になると・・・。

私の部屋にはエアコンなんて高級電化製品はありませんでしたから。

締めっきりの部屋の中でエアコンも無い状態で暗室作業をすることがどれだけ苦行なのか、当時は知るはずも無くルンルン気分で暗室を手に入れたことを心から感謝していました。


手に入れた引き伸ばし機は「LUCKY」製。

フォコマートなんかを使っている人からみれば、

「たまたまプリント出来てラッキー!」

なんてバカにされてしまうLUCKY製の引き伸ばし機ですが、私にとっては最高級の引き伸ばし機でした。(本当に素晴らしい引き伸ばし機だと思いますよ~)


暗室技法なんかも、とりあえずは全て、書籍からの情報だけが頼りで、試しプリントをしっかりと作りながら、そして停止液、定着液の浸し方なんかも、書籍どおり時間を守って、ちゃんとやっていました。


念願の引き伸ばし機を手に入れてからは、とにかく毎日暗室に篭って、焼いていました。単純に楽しかったですね~。

で、不思議と、写真を趣味にして、暗室なんかも自宅に作って、それなりにやってると、写真仲間が出来て来るんです。
高校時代なんか、写真を趣味にしている友人なんか一人もいなかったのに人間関係って不思議ですよね。

そんな風に友人関係が発展していく中で、どんどん写真にのめり込んで行く自分がいて、学生時代に友人たちと写真展なんかもやったりして、それなりに本格的にやるように・・・。


ありがたくも、その当時、私のヘタな写真を、写真家の沼田早苗さんに写真を見てもらう機会を得たりして、自分でもビックリするぐらい一気に写真が主体の学生生活に変化。


まさに写真をつうじて様々な人間関係が出来て楽しい日々へ。

手術後の腸の癒着によって10キロ以上一気に体重が減った原因不明に近い病気も、何となく良くなって来ました。


そんな中、写真のアルバイトをやり始めました。
数万部程度発行しているタブロイド版の新聞の写真を撮影させてもらったりしていました。


今思うと、写真がたいして上手くも無かっただろうにアルバイトとして使ってもらって本当にありがたかったですね。
熱意だけは分かっていただけたようです。


大学時代、部活には写真部とかもあったんですが、写真が好きになり始めた大学2年の半ば頃に入ろうとして入部希望をしたら、

「途中入部は無理!」

と断られたりして、結局学生時代は、結局ず~~~っと独学で写真を学んでいました。


ただ、上記にもあるように、写真の専門学校にいっている友人や、日本映画学校に通っている友人などが出来て、独学だけでは得られない知識は、そんな友人たちから得ていました。

だから、本当に友人関係ってものすごく大事なんだ!!!ってことは大学時代に学んだんだと思います。
友人関係に限らず、人間関係ってのは本当に大事ですよね。心から、そう思います。

そんなこんなの学生生活を送り、時は流れ、就職活動へ。


私たちの時代の就職は、「超氷河期」って言われていた時代で、とにかく就職先がなかったんですね。
2000年大学卒業の人は超氷河期最高潮の波を乗り切る必要があったんですね~。その当時はそんなに波が高いとはつゆ知らず。今となっては戦後最悪なんじゃね?と思えるほどの超氷河期真っ只中です。


私が通っていた三流大学なんかは就職できない人が・・・・。
まあ、とにかくみんな必死だったと思います。


私も、写真にのめり込んでいましたから、写真を仕事に出来たらと思って、写真に関係する就職先を基本に就職活動を開始しました。

写真に関する仕事といっても、わたしが通っていたのは写真学校では無く、普通の大学。

スタジオマンとかの募集も私の大学には来る訳も無く、基本的に写真関係の就職先の情報量が圧倒的に少なくて、業界情報を手に入れるのに苦労した思い出があります。


ただ、せっかく見つけた情報も、とにかく募集が少なくて・・・・
就職口が限られている時でしたから、なかなか決まらない。

大学4年間の写真活動の中で知り合いになったプロのカメラマンさんもいたものですから、その方のアシスタントとしてやっていこうとも半分は思っていました。


で、そんな風に悶々としている時に、アルバイトで撮影していたタブロイド版の新聞の写真を目にしてくれた業界の方がいて、その方の縁で今働いている会社の面接を受けさせて頂くことになったんです。


で、結果としては、採用していただきカメラマンとして働くこととなり、現在に至るわけです。
とにかく、私は人の縁に助けられてここまで来ているんですね。本当にありがたいことです。

入社してからはカルチャーショックの連続!

何がカルチャーショックだったか・・・。


会社に入社すれば、もちろん研修などがありますが、その研修は各部署を回るわけです。
政治部だったり社会部だったり、校閲部、整理部と様々な部署を一気に回らせていただきました。

で、一連の研修が終わると配属先の部署で、専門的な研修が始まる訳ですが、この先の世界は私の中の常識は通じない世界でした。


私の配属先はもちろん「写真部」


私が入社した当時は、まだフィルムの時代ですから、フィルム現像の研修もあるわけです。
で、独学で学んだリール巻きの技術があるからと高をくくっていたのですが、最初からとっても痛い目にあいました・・・。

毎日が締め切りで、とにかく時間との勝負の仕事ですから、取材先で行うフィルム現像でもスピードが命なんです。

なので、リールひとつに対して、フィルムは2本。

え?リール1つにフィルム2本???


最初は、何を言っているかわからず????
1つのリールで何で2本のフィルムが現像できんねん?


何を言ってんだ~?

と、思ったのですが、フィルムの現像に関しては乳剤面が現像液に浸されていれば現像出来るわけで、乳剤面が外側になるように2本のフィルムを背中合わせにして、2本のフィルムを一気にリールに巻いてしまえば、1個のリールで2本のフィルムを現像出来るんです。


え~~~~~!???


そんなこと本に書いてないもんよ~。
と、心の中で叫んだ思い出があります。


ですが、現場に出れば取材で消費するフィルムの本数は結構なものになるわけで、リール一個にフィルムを1本ずつ巻いていたんじゃ埒があかないんですね。
要するにスピードが全ての世界では、合理性が何よりも優先されるわけです。

これは最初のカルチャーショックでしたね。

そんな風に現像する技法があるなんて、どこの書籍にも書いていませんでしたから・・・。

もちろん社内で現像するときは、自動現像機がありますから、それで行うのですが、研修と言うこともあって、リール巻きから深タンク現像やサラ現像など基本的なものは全て学ばせて頂きました。

深タンク現像をご存知ない方に少しだけ書いておきますと、自動現像機が普及する前は、1メートルほどの深さのあるタンクにフィルムを入れて現像していたんです。


いちいち、その度にリールに巻いていたら時間が掛かりますから、リールに巻いて現像するのは出先の時だけで、社で現像するときは深タンク現像なんです。

フィルムにドーナツ状の錘を通して、半分に折るような形で深タンクに入れるんです。タンクは結構な大きさがありますから数十本のフィルムが一括で現像出来るんですね。


ですから、リールに巻く必要も無く、迅速に現像が出来ます。私が入社した当時は、すでに自動現像機がありましたから、タンク現像はあまり使っていませんでしたが、私は勉強のために深タンク現像をさせて頂いていました。


まあ、そんな感じで現像に関してはカルチャーショックな出来事があったんですが、焼き(プリント)に関しても私にとってはカルチャーショックでした。


焼きと言えば、当時のわたしにとってはタイマーを使って、時間を計測して露光するもの。
ですが、社の引き伸ばし機にはタイマーが無いんですね~。
ようするにフットスイッチのみ。


本だけで学んできた私としては、本の通りにタイマーで時間差露光をして、その結果から適正露光を出して本焼きに入るのだとばかり。

ですが、私のこの常識は・・・・・・・・・・・・・・・


研修数日目。


さてさて、プリント(焼き)を見学させていただく初日。
ウキウキしながらの見学です。

どうやって適正露光を見るのかなぁ?と思っていると、セーフライトにフィルムをかざしてから引き伸ばし機にフィルムをセット。

一度だけ印画紙が無い状態で1~2秒ほど露光して画像を確認。

次に印画紙をセットするやいなや、いきなり両手を使って「覆い焼き」やら「焼き込み」やらをしちゃってます・・・。


私の中では、くどいようですが、段階的に露光して適性露光を見てから、タイマーをセットして「ピッ」と露光。
その後、出来上がったプリントを見てから、焼きこむ場所や覆い焼きをする場所を決めて・・・と行くはず。

でも、いきなり本番の焼きですからね~。




え~~~~????




適正露光とか見ないんですか?




でも、質問できるような雰囲気じゃ無かったので、黙って傍で見ていましたが、この焼きを見た時もカルチャーショックでしたね~。

私の場合は、自宅に作った暗室でプリントしていただけで、経験なんか無いに等しかったですから。
プロの人から見れば遊んでいるようなものだったのかもしれません。

知識は本と、自分の経験だけ。
あとで、この時のことを質問したら、大体ネガ見りゃ適性露光の時間なんかわかるだろ?とのこと・・・。

いちいち一枚のプリントを仕上げるのに、何枚も焼いてる時間ないらしいです。


信じられね~~~!



って初心者の私は思ったのでした。



プリント(焼き)の研修の時には、露光の常識だけでなく、次なるカルチャーショックを受けることになりました。

引き伸ばし機で露光された印画紙は、背後にある現像液が入った流しへと滑り込み、ゆっくりと浸されました。

そして、待つこと数十秒。

だんだんと画像が浮き出てきます。

この現像作業。自宅で初めて経験したときは鳥肌ものでしたが、この時には自宅で何百回とやっていたことですので当たり前と言えば当たり前。驚くようなことはありません。


私も、何百回と自宅で、現像液に浸し終わった印画紙を、停止液へ入れ10秒。 そして定着液へ入れたら約5分間定着させるまで待つ。

この作業をやってきました。
ですから、このあとの作業も予想できるわけで、露光の時のような驚きは無いものと・・・。

しか~し、停止液に浸された印画紙を引き上げると定着液へ。ここまでは良かった。でも5秒ほどしたら取り出して水洗へ!!!!

オイオイ(~_~;) ちょっとちょっと・・・


定着って5分じゃないの? なぜなぜ? 5秒???????


5秒?5びょう?5ビョウ?  


ありえね~~~~~~~~!!!!!




この時ばかりは、さすがに突っ込みを!
「こんなに定着液って短くていいんですか?」と

帰ってきた言葉は、
「永久保存版として焼いてる訳じゃないから。究極のところ印画紙をスキャンするまでの数分間だけでも画像があればいいんだ」と。


でも5秒は、、、
ちょっと短すぎない?って突っ込みたくなる私でした(笑)


ただ、のちに先輩の言っていたことが分かるようになりました。
とにかく降版時間が決まっているために締め切り時間ギリギリの場合は、一秒でも早くあげることが大事だって事が。

学生時代は定着液を5分間浸すまではセーフライト以外の明かりは厳禁でしたが、仕事としてやっていく中で、定着液につけなくても、停止液で良く撹拌してしまえば、ある程度は明かりをつけても画像が持つってことが分かりました。


学生時代には、そんな実験をする度胸もありませんでしたし、印画紙一枚を無駄にするお金も無かったですからね~。


こんなこと仕事としてやらなければ、知らないままです。
プリントに関しては、自分は自宅に暗室があるものだから、少し出来ると慢心がありましたが、先輩方の暗室作業を見て、一気に目が覚めたのを覚えております。


で、暗室作業に関しては、数日後に研修が終了し、正式配属された後は、自分で焼きを練習させてもらえるようになったんですが、これがまた、見るとやるとじゃ大違い・・・。


本当の驚きはここからでした。
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※補足
5秒というのは、急いでいるときの作業ですので、急いでいない時や保存すべきプリントを作成するときはしっかりと定着作業をしています。
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研修中は、知らないことの連続で楽しくもあり、驚きもありで、カルチャーショックを受け続けた数週間でした。

研修が終わると、写真の修行を命ずる!と言うことで、さっそく大阪に転勤の辞令が。

大阪に焼き(プリント)の職人がいるから教わって来い!というご命令と、大阪の写真部長に鍛えられて来なさい!ってことで早速2000年のGWに大阪へと向かいました。

GWの新幹線は、もちろんメチャ混み。
急な転勤だったために、大阪行きの新幹線の指定席券は全部が売り切れ!

「グリーン車なら空いてますよ~」

とのことだったのですが、当時の私にはグリーン車など、飛行機のファーストクラスと一緒で、乗れる身分では無いことは100も承知・・・Orz

結局チケットは購入できず、立ったまま大阪へ(>_<)

今も昔もGWと言えば、帰省ラッシュのニュースが定番。
東京駅のホームには各キー局のテレビカメラが取材活動をしていました。

私も、大阪に行くときに、何か撮影して行ったほうがイイんちゃうか?と、もう既に大阪への手土産を身の丈も考えずに、思っていたんですね~。


バカも良いところです(~_~;)


まあ、そんな思い上がりを徹底的に矯正して下さったのが大阪支局。厳しい転勤生活でしたが、今となっては原点です。

大阪に赴任してからは、焼きの職人と言われる方に毎日、暗室作業を教えて頂いたのですが、まずは掃除が基本。

写真のプリント作業に使う薬液は乾くと白くなるんですが、この乾いて白くなったものが、先輩が出勤した時に一滴でも暗室の床にあろうものなら、メチャクチャ怒られるわけです(+o+)

前日の夜に、暗室内を掃除するのは私の役目でしたから、言い逃れは無理・・・。


「暗室を綺麗にできないやつが、いい写真なんか撮れない!!!」

って徹底的に教育されました。


焼きを教わる前に、私の精神的な部分を矯正してくださったんですね。今思えば本当にありがたい、ご指導の連続です。

当時は、若者特有の天狗でしたから(~_~;)

天狗になるほどのことは何もしていないのですが、若いって・・・怖いですね~。


大阪へ行って、すぐに自慢の鼻はヘシ折られましたが(笑)



大阪へ転勤し、精神的な矯正をして頂いた後、やっと暗室作業の手ほどきが始まったのですが・・・
暗室作業と言えば、やっぱり焼き!(プリント)ですよね~。

覆い焼きや、焼き込みをする時に、学生時代の私は型紙を使ったりしていたのですが、大阪の暗室には型紙なるものが一切見当たらないんですね。


あれ?
どうやって焼きこみするのかなぁ~って思っていたら、東京の先輩たちと同じように大阪の名人も全て自分の両手を使って綺麗に焼きこみと覆い焼きをしていました。


見ているだけだと、とっても簡単に見えるんです。これが・・・。

で、いざ、自分で両手を使って一部分を焼きこもうとすると、場所がズレたり、大きさが違ったり、光が漏れて違うところも露光しちゃったりと、全然上手く行かない。


やっているのを見ると、ビシッと狙ったところに百発百中で焼きこみをするんですよね~。
光の大きさも、対象物に対してしっかりと変化させながら、上手く焼きこんでいきます。それも両手の隙間から露光されている光は丸くなっているのですが、私がやるとヘンテコな多角形になる。


う~ん。これはこれは・・・。


ということで、それからは毎日残って、両手を使っての焼きこみ覆い焼きの練習が続きました。

それにしても光の大きさを調整したり、狙ったところにビシッと露光させるのって結構難しいんですね~。意外と簡単に出来ると思いきや、焼きの修行の最初の時点でつまづいてしまいました。


まあ、そんなこんなで、大阪では焼きの基本を習いながら、昼間は取材にも行かせていただきました。


大阪の写真部長は非常に人格者であられたのですが、写真には厳しくて、なんど撮影してきたネガをゴミ箱行きにされたことか・・・。

でも、そうやって厳しく教えてくださったことが今となっては財産です。
大阪には、半年弱いたのですが、父親が大手術をすることになり、予定よりも少しだけ早めに東京へ帰ることになりました。


帰る前日に、焼きの名人に最終テストをして頂き、私の焼きのレベルを採点してくださったのですが・・・。

結果は


「30点」


まあ、0点じゃなくて良かったです。



ということで、手厳しい?30点という採点結果を持って大阪を離れました。

大阪では、自分なりに焼きの修行をして、勇んで東京へ戻って来たわけですが、帰ってきて早々に上司から聞いた話は・・・。

「かなりデジタル化が進んでね~。今はほとんどデジタルだから。」
と・・・(~_~;)


へ??? デジタルでっか?
うち、大阪で焼きの練習したんやけど・・・。ど、どないすんねん。

で・じ・た・る・・・って?

私は、あ・な・ろ・ぐ・です。

そして、追い討ちをかけるように、
「今は、フィルムカメラ使ってて。でもそのうち全部デジタルに変わるから。」


そ、そうなんですか・・・。


え~、っと。

私、一生懸命暗室での焼きを勉強してきたんですけど(~_~;)

・・・と、最初は思っていたのですが、デジタルだろうが何だろうが、写真の基本はフィルムカメラだと分かりまして、デジタル化が物凄い勢いで迫ってきているのに、私に暗室を勉強させて下さった意味が後になって分かりました。
暗室を学べた最後の世代として、今では非常に感謝をし、また幸せな経験でした。


東京に戻ってきても、最初のうちはNikonのF5を使っていたのですが、現場から伝送しなくちゃ行けない時などは、NikonのE2Nという弁当箱みたいにデカイ!デジタルカメラを使いました。

このE2Nは世界を驚愕させたNikonD1の前身のカメラなんですが、今から思うと信じられないような・・・。

というのも、デジタルカメラでありながらモニターが付いていないんですね~。


私が初めて触ったデジタル一眼レフはNikon E2N。

NikonE2N.jpg


その当時(2000年)、世界を一新させたと言っても過言ではない、NikonD1がすでに発売されていましたが、まだ出たばかりで台数も限られていましたから、それ以前に導入されていた、E2Nを使わせていただくことになりました。


E2Nを実際に使えば分かりますが、なんともデカイ!一眼レフです。
ですが、このカメラも出た当時は話題騒然?のカメラだったのでしょうね。


今では考えられませんが、メモリーカードの容量は8Mとかです(~_~;)
8Gじゃないですよ~。8Mです。


それも、今のようにCFカードやSDカードのようなコンパクトなメモリーカードはありませんでしたから、PCカードと同じ大きさのメモリーカードでした。


あと、今では考えられないものの一つとして、背面モニターがありません。なので、撮影した写真の画像をすぐに背面モニターで確認すると言う動作はもちろん出来ません。


では、どうやって画像を確認するのか!と思うところですが・・・。
このE2Nとセットで必ず携帯するものは、小型(携帯)テレビなんですね~。

E2Nにはコンポジットジャックがついていまして、このジャックを小型液晶テレビにつないで画像を確認するわけです。


マジで?とお思いの方もいるかもしれませんが、それでも画期的なことで、当時はスゲーって感動してました。


このE2Nが発売になる前は、フィルムをその場で現像して、ネガ伝送機などで写真のデータを送るか、もしくはポラロイドで撮影をして、ポラ伝送機でデータを送信していたわけですからね



私は、まだ10年選手なので、残念ながら現場でのフィルム(ネガ)伝送機を経験することは無かったのですが、先輩からネガ伝送の話は聞いておりました。

ダークバックの中で現像したフィルムを、伝送機にセットして電話線を使って送ると、受信機が印画紙に伝送された写真を焼き付けていくそうです。


これはこれで、スッゴイ技術だと思うのですが、非常に重い機械なので、携帯性に優れているとは・・・。

でも、それ以前は、近くの支局の暗室で現像して、焼き付けて、スキャンして・・・という作業だったのですから、それを考えると素晴らしい進化ですよね。


大きな新聞社などは、移動型(バス)の暗室を現場に持って行ったと言いますから、それから比べれば格段に携帯性がUPといったところでしょうか。


で、もっともっと、昔になると、伝書鳩を使っていたと言います。(他社の話です)

これはさすがに直接目にしたことはありませんが、現場で撮影したフィルムを伝書鳩に付けて飛ばしていたとのこと。大きな社ですと、ハト課という部署があったとか・・・。



つづく
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Orca
Posted byOrca

Comments 4

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yukinyaa  

もう、ちょうがない。

なんちって。

次号期待。

あ、拍手もしときますよ。

2009/03/14 (Sat) 06:57

Orca  

yukinyaaさん

私の退屈な独り言に2回目!の拍手ありがとうございます(^^♪

以外にも拍手ボタンが4つも押されているのでビックリしました(笑)

4人は読者がいると思って書いて見ようかと(^・^)



2009/03/14 (Sat) 19:31

holmeswan  

5人目の読者です(^o^)/

ご無沙汰しております。
コメントは始めてですが、いつも拝見してます。

続きを楽しみにしてますので、
じゃんじゃん酒飲んで下さい(^0^)

2009/03/15 (Sun) 08:37

Orca  

holmeswanさん

お久しぶりです(^^♪
読んで頂いていたとは感動です!

ありがとうございます。

駄文ですが、時間がある時にゆっくり書いて行ければと(~_~;)

どうぞ、これからもよろしくお願いします。

2009/03/15 (Sun) 22:05

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