TOP > 写真家の言葉

世界で活躍する9名の著名写真家の撮影秘話トークでモチベーションを上げる!TED動画集

あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。

新年が明け皆様も新たな気持で出発をされていることと思います。
今年は誰にも負けない写真を撮影するぞ!と決意したり長年追い続けているテーマの更なる深掘りを目指している方もいらっしゃるかと思います。

そんなモチベーションの高い方の為に更にモチベーションが上がる写真家トークをお届けします。
TEDで公演された写真家の方々をまとめてみました。

それぞれ見応えのあるトーク内容になっています。危険な中での撮影秘話等盛りだくさんな内容です。一枚の写真にこれだけの意味があるのかと改めて考えさせられる話が多いです。写真展に行って写真を見ることも大切ですが、こうして写真家の方々の話を聞けるのは本当に勉強になります。

全部で9本のLINKを貼らせて頂きました。興味のある内容があれば御覧ください。


とても恐れられている動物であるヒョウアザラシに近づくため北極海の氷の下へと潜ったポール・ニックリンは、そこで意外な友達を見つけることになります。不思議の地・北極で彼が体験した可笑しくも心温まる物語を、氷の上や下に生きる動物たちの見事な写真とともにお楽しみください。




写真家のカミール・シーマンは嵐を追うようになって5年になります。この講演で彼女は激動する空の圧倒的で不思議な写真をお目にかけます。




経済学の博士号をもつセバスチャン・サルガドは、30代で写真を撮り始めて以来その虜になりました。彼は何年にもおよぶプロジェクトを通して、人間に焦点を当てて地球規模の物語を美しく描写し、その多くに死・破壊・腐敗といったテーマを取り入れています。ここでは、写真を撮る事で死の恐怖に追い込まれた極めて個人的な話や、地上で忘れ去られた人々や景観を撮影した最新作『Sebastião Salgado.Genesis』に収録された美しい写真をご覧いただきます。




写真家の言葉 | 2016.01.05 [EDIT]

写真はただ1回の露光で捉えた究極の一瞬なのだ---アンリ・カルティエ=ブレッソンの言葉

これは絵画と写真の違いについてアンリ・カルティエ=ブレッソンが語った時の言葉です。
絵画はリアリティに入念に手を入れて絵画が出来上がるのに対し、写真はただ1回の露光で捉えた究極の一瞬なのだ。と語っています。

アンリ・カルティエ=ブレッソンは絵画を見るのがとても好きだったようで、写真展に行く事よりも絵画展などの方へ積極的に足を運んでいたといいます。
「私は普通あまり多くの写真を見ない」と断言しているほど。

古い絵も現代の絵も好きで、絵画を見ることに多くの時間を割いていたそうです。

完成された構図を一瞬の世界の中に入れ込むことに執念を持っていたブレッソンの言葉らしいですね。
ブレッソンの写真を見ると本当にこんな瞬間があったのだろうか?と思わせるほど驚きの瞬間を撮影しています。
どうしたらこんな瞬間に出会えるのか・・・。

良くブレッソンは長いこと同じ場所に待ち続けて決定的瞬間を撮影したのでは?と言われていますが、あの有名な水たまりを飛び越える瞬間の写真以外では待ち構えての撮影はしたことが無いと話していますよね。待つこと無くあれだけの瞬間が撮影できたのは彼の体全体、五感全てが決定的瞬間を捉えるアンテナのような人だったのでしょうね。


それを証拠に、
写真を撮るということは( 同時に、そして何分の1秒かの一瞬に) 真実そのものと、それに意味を与える視覚的に知覚された形態の苛酷な結びつきを認識することである。頭脳、目、心を同一軸上に結びつけることである。」とも話しています。


ここまでの言葉がスッと出てくるアンリ・カルティエ=ブレッソンってやっぱり凄いですね。
言われれば、確かにそうかと思いますが、この言葉を体で体得していた巨匠だったのでしょう。


「決定的瞬間」という言葉を生み出す人だけあります。


最後にもうひとつ。
アンリ・カルティエ=ブレッソンの若かりし頃の写真って見たことありますか?
ほとんど皆無だと思います。それはブレッソンが写真に撮られることを非常に嫌ったからですが、その理由は御存知ですか?

とにかく自然体での瞬間を狙うカメラマンだったので、名前が売れてからは顔が世に知られてしまうと撮影中に気づかれて自然な観察が出来なくなるから撮影を拒み続けたそうです。まさに空気のような存在で撮影していたのかも知れません。


Wikipediaより

アンリ・カルティエ=ブレッソン(Henri Cartier-Bresson、1908年8月22日 - 2004年8月3日)は、フランスの写真家。

20世紀を代表する写真家であると多くの写真家・芸術家から評されている。彼は小型レンジファインダーカメラを駆使し、主にスナップ写真を撮った。芸術家や友人たちを撮ったポートレイトもある。

彼はライカに50mmの標準レンズ、時には望遠レンズを装着して使用した。1947年にはロバート・キャパ、デヴィッド・シーモア、ジョージ・ロジャーと共に国際写真家集団「マグナム・フォト」を結成した。


写真家の言葉 | 2012.12.05 [EDIT]

ネガは楽譜でプリントは演奏だ---アンセル・アダムスの言葉

ピアニストを目指したこともあるアンセル・アダムスらしい言葉ですね。非常に有名な言葉ですので聞いたことがある人も多いのでは。

アンセル・アダムスと言えば、ゾーンシステムでも有名ですが、やはり焼き(プリント)の名手であったのは誰の目にも明らかです。

どんなに良いネガであっても、それを上手に演奏しなければ人々を感動させることは出来ない。そう言いたかったのかも知れませんが、現在のデジタルカメラで言い換えると

「RAWデータは楽譜でプリントは演奏だ」

ってな感じになにますかね。
RAWデータで最近は撮影していない私はカメラに任せて演奏してもらっている状態。しっかり演奏しないと、演奏の仕方を忘れてしまうかも。
音楽家も毎日演奏の練習をするわけですから、カメラマンも毎日RAW現像ぐらいしないとダメかな?


ただ私の場合はJPG画像をLightroomで画像補正しています。これもプチ演奏ということで・・・^_^;
まあ演奏も大事ですが、いい楽譜を作った上での演奏であることを忘れずに楽譜づくりも日々頑張ろうと思います。自戒を込めて。


写真家の言葉 | 2012.11.29 [EDIT]

報道写真とは目的をもったドキュメンタリー写真だと思う---ユージン・スミス氏の言葉

ユージン・スミスの水俣病を撮影した写真はあまりにも有名ですが、小さい頃から写真家を目指していたわけではないそうです。
少年の頃は飛行機を設計するのが夢で、空への憧れと飛ぶことの憧れが強かったとのこと。

そんな飛行機マニア少年だったユージン・スミスが写真と出会うようになったきっかけは、小型機やグライダーなどのスピードレースの写真を手に入れるためにニュースカメラマンの後をついて回るようになったから。


後をついて回った地方新聞のカメラマンと繋がりを持つようになり、次第にカメラにも興味が。
ついには地方新聞のカメラマンにカメラを売ってもらい写真を撮影することに夢中になっていったユージン・スミス。

自分のカメラを手に入れてから半年後には、なんと新聞のニュース写真を自ら撮影するまでになりました。ユージン・スミスが14歳のころの話です。
14歳の頃から報道写真の世界に入り込んだユージン・スミス。
彼がドキュメンタリー写真家になるのは既にこの時点から必至だったのかも知れませんね。


水俣病のことを世界に知らしめた有名な写真。
母親が水俣病に罹った娘を風呂に入れる写真は彼の代表作の一つで、あまりにも有名です。ユージン・スミスは現地の人と近づくために漁師の仕事を撮影することからはじめ、手持ちの金が尽きるまで水俣に入り込んだ結果に撮影した写真。

その努力の結果生まれた写真は、まさに報道写真でありドキュメンタリー写真の代名詞となった強烈な写真でした。


その彼が放った言葉が
「報道写真とは目的をもったドキュメンタリー写真だと思う」

この言葉は以下のように続きます。

「ドキュメンタリーという言葉の唯一の欠点は、対象の心ではなく、対象の内容物の退屈極まりない写真を撮っていいのだという印象をこの言葉から受け取る人々がいるということだろう」

深く心に刻もうと思う一言です。


Wikipediaより

ウィリアム・ユージン・スミス(William Eugene Smith、1918年12月30日 - 1978年10月15日)は、アメリカの写真家。1957年から世界的写真家集団マグナム・フォトの正会員。

ユージン・スミスの写真の特徴は、「真っ暗闇のような黒とまっさらな白」のメリハリである。そのメリハリは、妥協を知らない徹底した暗室作業によって作り出された。


写真家の言葉 | 2012.11.16 [EDIT]

われわれは印刷で見る写真に慣れてしまって原画を忘れてしまったのではないか---細江英公氏の言葉

デジタル全盛の時代になってから特にこの言葉はガツンと頭を殴られたような衝撃があります。

あの森山大道氏の師匠でもあった細江英公氏の言葉だけに説得力が絶大。

私も先輩から常に「写真展に行って本物のプリントを見てこい」と言われてきました。


どんなに綺麗な印刷でも本物の印画紙とは違うものです。モニターで見た写真と展示会で見る写真が違うのは言わずもがなですね。
やはり本物を見なくては!と意識させてくれる素晴らしい言葉です。


ジャック=アンリ・ラルティーグは写真家になる勉強というものはあるのか?との質問に
「まず、見ることを学ばなければいけない」と答えました。


この「見る」というのはもちろん本物を見るということ。
印刷物やモニタで見る写真はどこまで行っても本物ではありません。


以前、白川義員氏が出した写真集「世界百名山」は数万円しましたが素晴らしい最高印刷の写真集ということで購入いたしました。
見た時は本当に素晴らしい印刷だなぁ~と思ったのですが、後日写真展で本物を見た時には印刷とは比べ物にならない素晴らしさでした。

どこまで行っても本物の原画が大事ですね。これは写真を撮影して印刷しないで終わってしまう点についても同じように思います。
写真は印刷して完成。このことを再認識させて頂きました。


ちょうど、手元に三枚写真展のチケットがあるので早めに行ってこようと思います(^^)




写真家の言葉 | 2012.11.13 [EDIT]

最高の写真、いつまでも心に残る写真はカメラに捉えられる以前にまず心の中に思い浮かべられたものなのだ---ロベール・ドアノーの言葉

ロベール・ドアノーと言えば、代表作の"市庁舎前のキス"が凄い有名ですよね。
タイトルだけ言われてわからない人も作品をみれば「あ~~、これね」と頷くであろう写真です。


オリジナル作品が2005年に、2200万円で落札されて話題になりました。
最近では写真の落札価格がサザビーズでも低くなっているとのことですが、2005年のオークションでは落札予想価格の10倍でスイス人が落札!
今ほど不景気じゃなかったんですかね。


話がそれましたが・・・。


フランスの代表的な写真家であるロベール・ドアノー。
彼が残した言葉は

「最高の写真、いつまでも心に残る写真は、カメラに捉えられる以前にまず心の中に思い浮かべられたものなのだ」


ロベール・ドアノーという写真家は、とにかく貪欲に被写体に接近して撮影した人のようです。
有名な"市庁舎前のキス"は街中でのキスのシーンを撮影したものですが、ドアノーは最初に自然体のカップルを撮影した上で、カップルに近づいて、もう一度キスをしてくれと頼んで演出してもらったのだとか。

ドアノーは町で人物を撮影するときには、狙った被写体の瞬間的な自然さを崩さないためにまず1枚撮影をして、その後は、ほぼ確実に撮影した被写体に話しかけると明言しています。

話しかけた後は、"市庁舎前のキス"を撮影したときのように演出を頼むこともあれば、住所を聞いて手紙を書くなり家に訪ねたりするそうです。
そして訪れた後は撮影した写真をプレゼントして、さらにそこで撮影もさせてもらうのだとか。凄い踏み込みようですね。


どこまでも被写体に食いつく姿はスッポンのようですね(~_~;)

でも、それはロベール・ドアノーが語っているように、ロベール・ドアノーの頭の中には心に思い浮かべられた最高のワンシーンがあるのでしょうね。だからこそ被写体に近づき、そのワンシーンを撮影するために踏み込んでいるのでしょう。


たまたま偶然に最高の写真なんて撮影できないんだ!そんな言葉がロベール・ドアノーからは聞こえてきそうです。



報道写真家としても有名なロベール・ドアノーですが、その撮影手法は報道分野とは思えないようなもの。
とにかくドアノーは、撮影する場所を決めるとその場所から長時間動くことなく、何か偶然の奇跡の瞬間を待つのが彼の撮影スタイルだったからです。


それは彼の以下の言葉からも分かります。

私は、なにか確信があって撮影に臨むわけではない。心の中が驚きで満たされる瞬間をじっと待つのだ。
あるいは、奇跡のようなものを待つ。すると、奇跡は必ず起るのだ。
ただ、そのためにはじっと待たねばならない。3時間も同じ場所にじっとしていれば、いろんなことが起る。
あらゆるものが動く町で、じっと立っている男は、いくらもたたないうちに注意を惹くようになる。
人々がやってきは、ごくつまらないことを聞いていく。
ネジ回しを貸してくれと言われるかと思えば、パリ郊外のポルト・ド・クリニャンクールへはどう行ったらいいだろうかと尋ねられる。
そしてついにはスパイに間違われる。
嘘ではない。
じっと立っている男と言うのは、現代では非常に珍しい存在なのだ。

出典:『写真術』ポール・ヒル/トーマス・クーパー著



偶然カメラに捉えられる写真ではなく、完全なる自分の意志で撮影した最高の写真が撮るためには、それだけ自分のテクニックも想像力もセンスも必要ですよね。

でもそうして撮影された写真こそが、最高の写真であり心に残り続ける写真なのでしょうね。
撮影に対するロベール・ドアノーのストイックまでな追求は現代のカメラマン/写真家にとって学ぶ所が多いですよね。

Wikipediaより

ロベール・ドアノー(Robert Doisneau, 1912年4月14日 - 1994年4月1日)は、フランスの写真家である。主として報道写真やファッション写真の分野で活躍した。ロベール・ドワノーと記載されることもある。


ヴァル=ド=マルヌ県のジャンティイ生まれ。父親は配管工であった。1934年に結婚してオー=ド=セーヌ県のモンルージュに新居を構え、終生をそこで過ごした。


写真家の言葉 | 2012.11.09 [EDIT]

テクニックは写真においては最小限必要なものに過ぎない。テクニックを身に付けたところから一歩が始まるのだ----アンドレ・ケルテスの言葉

アンドレ・ケルテスといえば「モンドリアン宅にて」が有名な写真家。

この言葉には続きがあって、以下のように続きます。
「思うままに自分を表現するためには完璧なテクニックを身に付けなければならないが、いったんそうなってしまえばもうテクニックのことなど忘れていい。」


アンドレ・ケルテスは他の写真家が大型のカメラを使う中、ICAという小型カメラ(後にイコンと呼ばれるカメラ)を使って小回りのきく撮影をしたことでも有名です。
この当時は多くの人が三脚にカメラを据えて撮影する中、手持ちで撮影する数少ない写真家だったそうです。

それだけに、テクニックは人一倍必要でしたでしょうし、テクニックに陥ること無く自由に動き回り自分の創作活動を進めたのでしょうね。

アンリ・カルティエ=ブレッソンにも大きな影響を与えた人物と言われています。


しっかり心に刻んでおきたい言葉ですね。


「テクニックは写真においては最小限必要なものに過ぎない。テクニックを身に付けたところから一歩が始まるのだ」

Wikipediaより

ケルテース・アンドル, アンドレ・ケルテス(Kertész Andor [ˈkɛrteːs ˈɒndor], André Kertész, 1894年7月2日 - 1985年9月28日)は、ハンガリー出身の写真家。本名(ハンガリー名)は姓を先に表記するケルテース・アンドルだが、日本ではフランス語からの紹介が多いために訳者によってフランス語風にアンドレ・ケルテスと表記される場合が多い。

ブダペストに生まれ、アメリカ合衆国のニューヨークで没した。戦間期に活躍した写真家に多いハンガリー出身者たちのうちでも特に重要なひとりである。


写真家の言葉 | 2012.11.08 [EDIT]

同じモチーフから観光写真も生まれれば芸術写真も生まれる。作者の眼の問題だ・・・土門拳氏の言葉



今朝アップしたのはiPhoneでの撮影。
で、こちらはコンパクトデジカメのCanon S95で撮影したもの。


やっぱりこっちのほうがシャープに撮れてます(^^)
同じ場面をiPhone4sでも撮影したんですが
葉が揺れてしまってピントが合わない。
こちらは葉が揺れても一瞬でシャッターが切れているので
ブレもピントずれもないようです。


S95ってマクロ機能が弱くて
あまり接写に向いてないかもと思っていましたが
ここまで近寄れれば良いですね。


もっと接写機能に優れたコンデジならば
顕微鏡写真のようにクッキリと葉脈が撮影できるかも知れません。
だから何?と言われても返す言葉もありませんが。


息子と散歩する時には
なるべくコンデジを持ち歩くようにしているのですが
撮影するのは息子がメイン

たま~に
気になるものがあるとパチリと撮影。


じゃ~
この葉っぱも気になったから撮影したのかと言うと
実は撮影するものが他に何も見つからなかったから^_^;


もっといい被写体があったとは思うのですが
私には見えなかったというのが正解でしょうか。


人は同じ物を見ていても
感じることや発見することは人それぞれ


それを象徴するような
土門拳さんの有名な言葉があります。




「同じモチーフから観光写真も生まれれば芸術写真も生まれる。作者の眼の問題だ」



眼の訓練をしなければと思った一日でした。


写真家の言葉 | 2012.11.05 [EDIT]

かまえを崩し撮られることを忘れた瞬間に素直でいい顔が現れてくる-----秋山庄太郎氏の言葉

ポートレート撮影の巨匠である秋山氏の言葉だけあって含蓄がありますね。

確かにポートレート撮影やインタビュー撮影をしていると、相手の素の表情を捉えたいと思うことが多々あります。
カメラの存在を忘れた瞬間のふとした表情が良いことがあります。

かなり昔の話ですが、NHKのアナウンサーだった久保純子さんを撮影した時のベタを写真家の須田一政氏に見てもらった時がありますが、須田氏に同じような指摘を受けたことを覚えています。
カメラを意識した彼女の表情よりもふとした瞬間を捉えた瞬間の写真をみて「こちらの方が良い」と。


仕事で撮影する場合にはカメラを意識した「使える写真」を撮ることは大前提として必要なことですが、秋山氏の言葉のように「かまえを崩し撮られることを忘れた瞬間」の素直でいい顔を撮影できるように常に意識したいものです。


私の好きなカーシュのケネディ大統領を撮影したポートレートも同じようにケネディ大統領の絶妙な瞬間を撮影したもの。
ポートレートは奥が深いですね。


写真家の言葉 | 2012.11.02 [EDIT]

夢中で撮った写真が本当の自分の写真だ。それがだめなら、まだ本物ではない-----早崎治氏の言葉

日本で初の広告制作専門会社の写真部副部長を務めた後にフリーとして活躍した早崎治氏の言葉。
夢中で撮った写真というのは本気で撮影した写真ということでしょうか。

早崎氏は東京オリンピックのポスター撮影が非常に大きな反響をよんで有名になられたそうです。

その有名な写真は6名の陸上競技選手のスタートダッシュを撮影したもの。
【左の写真】


この撮影は冬の国立競技場で寒風が吹く中、夕方に3時間に渡って撮影され、納得の行くカットが撮れるまで行われたそうです。

その回数はなんと約80回。

スタートダッシュを80回行うのは陸上競技選手と言えども大変ですし、その要求を行った早崎氏も相当な人ですね・・・。

そのあたりの逸話に関してはJOCホームページに詳しく書かれています。



まさに本気の撮影。夢中の撮影ですね。

そんな撮影の経験があるからこそ「夢中で撮った写真が本当の自分の写真だ。それがだめなら、まだ本物ではない」という言葉が出てきたのでしょう。
夢中での撮影。言葉では簡単ですが、実践しているかと胸に手を当てると・・・。

今日から氏の言葉を胸に頑張ります。


写真家の言葉 | 2012.11.01 [EDIT]
| ホームへ | 次ページ